寄り添って生きる

□ 寄り添って生きる □

田渕和恵
青年海外協力隊員
ヨルダン 美術

キング アブドゥッラー モスク
ここは3000人が一度に礼拝できるヨルダン最大のモスク
ヨルダンにしては珍しく外国人も入場できる。
そのため、「なにかイスラムらしいものを・・」と
外国人観光客が、意気込んで見学に来る場所の一つでもある。

水曜午後、モスク内の穏やかな時間と柔らかな空気―
ここに横たわっている 柔らかな時間が、一気にぶっとんだ。

中国人大学生観光客6名が、ドヤドヤと入ってきたのだ。

女性たちは、入口で借りた黒の上着、スカーフを脱ぎ捨て
ドームの下でゴロンと寝転がった。
男性のほうといえば、
「へぇー、これがコーランってもんかな。」なんていいながら、
台の上に置いてあったコーランを持ちあげている。

何をしゃべっているかわからないけれど、
コーランを手にとって 笑って
上着とスカーフを脱ぎ捨て ドームの中心で寝転がって
モスクの中で行う態度が尋常でない。

そして、極めつけ。
説教壇(ミンバル)隣にあったマイクで何をするかと思ったら
カラオケ。なんと!彼女は、歌を歌い始めた・・。

外からヨルダン人のおじさんが駆け込んできたのは、
怒りと呆れの境界を振り切った瞬間と、ほぼ同時だった。

私とヨルダン人おじさんが同じ言葉を発する。
「ここで、何をやってる!?」

おじさんは、今にも殴りだしそうなくらいの勢いで怒鳴った。
彼らは、おじさんの剣幕に圧倒されタジタジ。
また、同じアジア人に、注意されたことにも驚いていた。

気まずい雰囲気が あたりを包む。

「ゆっくり話をしてください。私が彼らに説明します。」
アジアの仲間、中国の大学生観光客たちへ、
たくさんのヨルダン人友達がいる、
ヨルダンに生きる日本人として。
ヨルダンに寄り添って生きている 青年海外協力隊員 ヨルダン隊員(以下 ヨルダン隊員)だからできること。

なぜヨルダン人のおじさんが、こんなに怒っているのか、
彼らへ伝えることだった。

「あなたが使ったマイクは、
アザーンとして外のスピーカーに流れている。」
「モスクは、遊ぶ場所ではなく祈りの場所である。」
「女性は上着、スカーフ着用をしてほしい。」
「コーランは聖典であり、勝手に読んではいけない。」

彼らは、おじさんに何度もペコペコ謝っていた。
おじさんも、怒りが収まったのだろう。
彼らにそれ以上忠告することはなかった。

世界には、多種多様な人々が、多種多様な生き方をしている
こちらが「あたりまえ」と思いこんでいることは、
相手には全く異様に映り、
むこうのあたりまえは、こちらにはなかなか納得できない。
イスラムの世界がまさにそうだ。
時には、なかなか理解できないこともある。

若者が 海外旅行中、調子に乗りすぎたことを
責めるつもりはない。
集団で一緒に旅行となると、
多少、浮かれてしまうのは世界中どこも同じだ。
私だって、未知の地で、
ルール違反、タブーを冒してきたかもしれないし、
「知らない」「身に着いていない」ということで、
これからも冒すだろう。

今の私、私たちヨルダン隊員は、 ヨルダンにおいては、観光客ではない。
隊員として、その地に生きるということ、
それぞれの文化、風習、習慣、ルール、
目の前にある事象を 受け入れ、尊重し、寄り添って生きている。

だからこそ、彼らのような行為を
モスク内で行うヨルダン隊員はいないだろう。
また、私と同じように、
観光客の行いを黙って見てはいられないはずである。

ガイドブックや本に書いてある、
「イスラム教国のルールを守る」からではない。
「世界の人たちへ イスラム教の世界を知ってもらう」
ためでもなく、
「アジア日本と中東ヨルダンをつなぐ」というような、
大それたものを目指してもいない。

ヨルダンという国で、
ヨルダンに生きる人たちと時間を共有している
私たちが生活の中で身につけてきた、「あたりまえ」の感覚、
自然な思考と振舞い。

ヨルダンで出会った大切な人たちとの一瞬、一瞬が築いてきた
ヨルダンへの想いと彼らへの温かな眼差し。

ヨルダン隊員たちは声を揃えて言う。

「ラマダン中、ヨルダン人の目の前で、水を飲むなんて心苦しくて、とてもできな
いよ。ダウンタウンで、観光客が平気で堂々と食べ歩きしているのを見た。日中、
断食している彼らのことを少しは考えてほしい。」

「夏、南部の町はとても暑いけど、私は半そでで出歩いたことは一度もない。ワデ
ィムサ(ペトラ遺跡)やアカバは観光地。でも、外国人にとってだけのことだから
。ここは、ヨルダン。イスラム教の国。肌を露出しないというのは最低限のマナー
じゃない。」

中東のヨルダンだけではない。
アフリカ、アジア、東南アジア、ラテンアメリカ、
今、世界中にちらばって、切磋琢磨している隊員の仲間たちが
それぞれに生きる地の 見えない文化や習慣を 尊重し
その地に 寄り添って生きている。

モスクを離れるころ、
ヨルダン人おじさんと中国人大学生観光客たちが
同じ質問をしてきた。
「あなたは、どこの国の人ですか?
ヨルダンでどんなことをしているのですか?」

日本人であること、ヨルダン隊員として、
ヨルダンにいる人たちと一緒に生きている時間、
ヨルダンに寄り添って生きている今を、誇りに思う。